2010 - NUBA(Juju Alishina)/Press Clippings
  • 2010 日本 神戸新聞 3月10日夕刊文化欄
    ”神戸出身の作舞家・有科珠々さんが初出版 
    東洋と西洋、古典と前衛を超越  独自の訓練法 後世へ継承

 1959年、土方巽が発表した「禁色」を起源として、日本で生まれた「舞踏」。 
神戸市出身のコレオグラファー(作舞家)・有科珠々さんは、舞踏の第3世代であり、フランスにおける第一人者だ。東洋と西洋、古典と前衛を超越し、融合させた独自の訓練法は「有科メソード」と呼ばれる。その神髄をまとめた初の著書「パリ発・踊れる身体」を出版した有科さんに、舞踏に打ち込んだ半生と今後の展望について聞いた。

 有科さんは1963年生まれ。幼時から音楽に親しみ、学生演劇を経て、82年に舞踏の世界へ転身した。「60年代以来のアングラ演劇が、最後の火花を散らした時代。 私に興味があったのが、脚本より身体表現やコンセプトを重視する芝居で、その延長上に舞踏があった。まだ舞踏草創期の人々が健在で、独特の価値観に衝撃を受けました」と当時を振り返る。
 大学を中退し19〜21歳の間、京都の舞踏団「白虎社」に所属。共同生活をしながら舞踏に明け暮れた。「舞踏は生活の影響を強く受ける芸術。若い日の合宿経験があるから、今も日常体から舞踏体へスッと入れる」。土方らの第1世代、70年代の第2世代に続く、舞踏の激変期に立ち合った第3の世代。舞踏コミューンが崩壊し、国際化し始めた90年に独立して、ダンスカンパニー「射干/NUBA」を東京で創立した。  
 97年に招聘された国際ダンスフェスティバルを機に、翌年フランスへ移住。現地メンバーで再結成したNUBAの公演活動と共に、俳優やダンサー、ダンス教育者など後進の指導にも力を注いでいる。そして、この28年に及ぶ舞踏経験を凝縮し、まとめ上げた訓練法が有科メソードだ。
 「踊りはその瞬間、その場限りで消えてしまう、はかないものです。でも何か形に残したい。料理も同様で、あるシェフの味はその店でしか味わえないけれど、レシピとして伝え広められるでしょう。私の舞踏もメソード化することで世界に、後世に受け継がれれば」
 有科メソードの特徴は、舞踏を基本としながら日本舞踊や欧米のコンテンポラリーダンスの要素も含み、複眼的に構築されている点。本書では、正座や礼、気功に基づく呼吸法に始まり、即興のジャム・セッション、生命の根源へ向かう乳幼児や獣の動きなど、パリの教室でのレッスンを写真や図を交えて再現した。身体を整え、表現力を豊かにする訓練は、ダンサーに限らず、広く一般に有効なものといえる。「舞踏はもっと将来的に発展しうるものです。例えばヨガ。今や健康法の一つとして一般化したけれど、本来の神秘性は保ち続けている。舞踏も、発生時のエスプリを失わないまま拡大できるものと信じているし、そのために今後も力を尽くしたい」と有科さんは話している。
 ※「パリ発・踊れる身体」は新水社刊、2940円。

写真キャプション :「国も年齢も超えてひとつになれる。舞踏は格好の国際コミュニケーションです」と話す有科珠々さん。
取材・文/平松正子(神戸新聞・文化生活部)

  • 2010 日本 ELAURA 誌 2月Web版
    ”フランスで活躍する舞踏家・有科珠々 
    「パリ発・踊れる身体」刊行&ワークショップ開催”

“骨の髄までダンサー”と言われているパリ在住の舞踏家、有科珠々氏が、新水社より「パリ発・踊れる身体」を刊行します。1998年にパリに渡った有科氏は - 省略

  • 2010 日本 Fitness Journal 誌 3月号
    ”フランスで活躍する舞踏家・有科珠々 
    パリ発・踊れる身体”
  • 2010 日本 TARZAN 誌 4月号
    ”舞台芸術の国際指導者、有科珠々さんがパリからやってきた。”
     

 会話に使われる声と歌声が根本的に違うように、労働や運動にいそしむ肉体と、踊る肉体は違うのだろうか。
 28年間をダンスに、文字通り身を捧げてきた有科珠々さんは、しなやかな身のこなしで、ほとんど足音を立てず、部屋の風も揺るがせずに、すっと現れた。
「自転車を好きな人は乗ることで、私は踊ることで。カラダを動かし続けないと老化が進み、腰を痛めたりするものです」
 現在40代の彼女には、もちろんそのような兆候は、微塵も見てとれない。舞台に立つためにたゆまぬ修練、精進を積むことで、踊れる心身を磨き、維持できているのだろう。11年ぶりの帰国に際し、携えてきた発の著書は、そんな舞台裏を垣間見させてくれる。
「パリで教室を開き、プロ、アマを問わず指導してきましたが、そのエッセンスをまとめたものがこの『パリ発・踊れる身体』です。いままで舞台は1000回以上踏んできましたが、本も書いてみたかったんです」
 その内容はいわゆるダンスの教則本とは一線を画す。正座、呼吸法、ストレッチをはじめ、逆立ち、気や声の訓練にまで筆は及ぶ。先達、他団体の練習法でも、優れたものは出所を明記したうえで紹介している。 
「これは私の踊りを踊れるようにするためのテキストですから、これを読んで練習したからといって、バレエが踊れるようになるものではありません(笑)」
 彼女の踊りというのは、1959年に土方巽が始めた前衛舞踊である舞踏をベースに、自分自身のスタイルへと洗練、変化させたオリジナル。日本生まれの舞踊でありながら、ダダやシュールレアリスムにも近い表現であるため、ヨーロッパでは幅広い層の注目を集めて来た。
 その旗手である彼女は、日本の踊り手としては、恐らく海外で最も知られた存在だろう。2004年のパレ・デ・コングレで開催された国際会議の終幕式では、シラク前大統領をはじめ、世界の要人たちの前で20人の多国籍ダンサーを振り付け、もちろんみずからも実演した経歴の持ち主だ。
「自分が公演で留守をするときに弟子が代講できるよう、指導内容をまとめる必要を感じたのも、書くきっかけです」日本文化に対する知識、理解がなくても、一目で動作が分かるよう、彼女自身がペンを走らせた説明図が実に110点。どのメソードも何度となく試し、なぜこの秒数だけ静止するのがいいか、なぜこの回数の動作がいいのか、すべて彼女自身がみずからの肉体で探り当て、
「教室での指導の中で、このメソードはすべて実験し、成果は実証できています。これを実践して行けば、動作が敏捷になり、仕草は優雅になりますよ」
 ただし、この本で書かれていない重要なことがひとつある。それはこの技術を身につけた人が、何をどう踊るかだ。これはその人の生活の中から生まれるのであり、指導者から教わるものではないと彼女は断じる。
「けれど、この本を手に取ったり、技術を求める人の心の中には、実はもう表現するべき何かが備わっているのです。技術を極めることは、精神を深めることにもなっているのですから」
 筋トレや持久運動の単調に一抹の不満を感じていたら、ページを開いてみてほしい。久しく忘れていた動作、姿勢、身体との対話法などに触れることができるだろうから。

取材・文/廣松正浩(ライター)
 
写真キャプション
中央)武道を取り入れたワーク。相手の動きを読み取って応える訓練。
右上)パリの舞踏クラス。国籍も年齢もさまざまな人々がフランス国外からも集まる。

  • 2010 日本 JANE 誌 Web版
    ”パリ在住コレオグラファーの身体訓練メソッド本が刊行。 
    ワークショップも開催。”
  • 2010 フランス ビズウ(Bisou) 誌 春季号
    ”パリ在住舞踏家の記した身体訓練教育メソードの本 ”
  • 2010 日本 ビーズアップ(bea's up)誌 5月号
    ”コレオグラファーが伝授する、身も心も軽くなる身体メソード ”

省略 −フランスから逆輸入された「有科メソード」は、単なる舞台技術にとどまらず、コミュニケーション能力も高める。また、身体コントロール、アンチエイジングにも有効で、幅広い年齢層の方が楽しめる。ー省略。

  • 2010 日本 TH叢書誌 5月号 TH特選品レビュー
    ”有科珠々「パリ発・踊れる身体」 ”

 80年代に一世を風靡した舞踏集団白虎社に参加し、パリに渡って活動して成功。フランス人を中心に舞踏や踊りを教え、数多くのワークショップを積み重ねて来た有科珠々が本を書いた。
「有科メソードによるダンスの実践と指導」という副題のこの本は、舞踏や踊りの技法のみならず、野口体操、合気道やヨガ、ストレッチ、ピラティスなどさまざまな身体訓練法も取り入れている。例えば、「鼻から息を吸い、口を閉じたまま低い声で唸る。鼻歌ではなく、お経や声明のように同じ音程で長く延ばすこと。その振動が内部から筋肉をほぐしてくれます」など、実践的で説得力がある。
「動きの質は伝染する」という視点や「無音」「即興」「拘束舞」など、人間と身体表現に対する知見が溢れており、自ら描いたイラストもシンプルで動きがよく伝わる。
「舞踏に惹かれる人は、自分に中の獣に気づいた人」と書く有科。舞踊・舞踏関係者は一度、目を通すべき好著である。
 フランスでも指導者としての活動が中心というが、日本で公演を行わないのは残念。欧米に比べ公共支援が極端に少なく、事業仕分けなどで予算が減る文化支援。とても海外から作品を持って来られない。今回来日してワークショップを行ったが、できれば有科の踊りを見たいと思う。
取材・文/志賀信夫(舞踊・舞踏評論家)

  • 2010 フランス web-magazine asiexpo
    ”有科珠々 舞踏作品デジールダンフィニ評 ”

 花は咲くやしおれ、絶えず再生し、永遠に生きる。それが踊るということ。
(郡司正勝)『永遠の欲求 あの世の儀式』展(サン=ロマン=アン=ガルのガロ=ロマン博物館にて11月14日まで開催)の一環で、コンフリュアンス博物館は舞踏家でコレグラファーの有科珠々を招く。バイオリン奏者リュシアン・アルフォンソの伴奏で、有科はこの機に特別に構想したオリジナル作品をソロで踊る。
ー中略ー
(舞踏第三世代に属する有科珠々にとって舞踏とは?)
 はかない幻影。音楽と全く同様、ダンスはつかの間の芸術である。有科はそのことをよく理解している。だが身体が時間に対して挑む闘いは負け試合と決まっているだろうか? 動きや動作も音のようにすぐ消えてしまうが、何かが残るのではないか。ダンスは痕跡を残し、一種の欲求を呼び覚ます。展覧会が問いかける『永遠の欲求』に応え、有科珠々は自らの作品を『無限の欲求』と題した。
ダンスとは身体を再配置するだけでなく、空間も変化させるものである。多和田葉子はこう書いた。「手足で空に描く線一本一本が梁や柱になっていった。ゆがんだ家、螺旋状の部屋、段の無い階段、浮遊する橋などを、彼女はそうして建てたのだ」(『変身のためのオピウム』ヴェルディエ社出版(2002)より)。
 有科はガロ=ロマン博物館の展覧会場でこの種の幽玄な建築を創り、扉を開け、イマジネーションと欲求をのみ込むような思いがけない通路を拓いたのだ。
死の表現に直面しても、アイデンティティの崩壊や消滅、変身よりも、有科は「生」のほとばしりの確認に関心を示す(とはいえ、「変身」は作品に表れているが)。その生のほとばしりは、バッハのソナタを鮮やかに極めて個性的に演奏するリュシアン・アルフォンソによって吹き込まれている。
 ゆえに『無限の欲求』が、多くの舞踏公演に反して、むしろおびただしい数々の動き、その多くは上昇する動きによって特徴づけられていても驚かない。有科は、身体が多様な状態を通過して取り巻く世界とついには和解する、という一種の循環や行程に我々を誘うのだ。

文/ヤン・ルブラン

 

  • 2011年2月  フランス LE BERRY REPUBLICAN
    伝統舞踊ワークショップ、今夜まで開催。
    "生徒たちは日本を踊った"

ジブジョンの演劇アトリエが、今夜まで子供向け日本舞踊のワークショップを開催している。目標は、学年末の公演の為に日本の文化を身体に浸透させること。
着物を着て、日本の音楽と共に、生徒達は非常に注意深く授業を受けている。彼らの師匠は、著名なコレオグラファー・日本人舞踊家である有科珠々氏。彼女は若者達に自ら動きを見せ、彼らだけで踊れるようになるまで監督する。
準備開始は9月から
昨日から今夜まで、10歳から17歳までの子供達が18人、日本古典舞踊のワークショップに参加している。場所はグラン・モーヌの多目的ホール。「昨年の9月から、若い役者達の劇団が日本文化を学んでいるのです」とジブジョンの演劇アトリエ責任者であるナディン・ラルシェは説明する。
こうして若者たちは剣の居合い道のワークショップや、パリ日本文化会館のアトリエに参加してきた。そして最後が、このダンスのアトリエ。目標は5月に予定されている学年末公演の準備として、日本文化を身をもって体験すること。国際的に高名なプロフェッサー、有科珠々の指導の下、生徒達はすぐに夢中になった。
有科珠々は1998年からパリに移住し、定期的にクラスやワークショップをフランス国内外で授けている。
生徒達の次なる試練は、ナディン・ラルシェの書き下ろした台本を習うこと。困難なステップには違いないが、若者達はすでに十分に日本について習ってきたのだ。「彼らは『こんにちは』も言えるし、日本語で自己紹介も出来るようになったのです。日本には茶道の時、お茶を渡したり下げたりする度にお辞儀をするようにして、いろいろと挨拶のやり方がありますよね」と、演劇アトリエ責任者ラルシェ氏は続ける。

写真キャプション
ワークショップ:18人の子供達が、コレオグラファー・日本人舞踊家である有科珠々の授業を、集中して受けていた。

文、写真:ベノワ・モリン

  • 2011年2月 フランス web-magazine Bisou-japon
    即興舞踏実験室 "SOKKYO”

舞踏家の有科珠々が主催するNUBAが提唱。即興のもつ可能性を探る舞踏実験室。観客の出すテーマに合わせて即興で踊る、観客参加型イベント。
毎回音楽家やゲストを替えて数ヶ月に1回行われる予定。即興群舞の参加者(ダンス経験者のみ)も同時募集。
初回のゲストは舞踏家の桂勘、アコーディオンのTaca.

  • 2011年2月 フランス Magazine DANSER
    ユニークな催し

有科珠々がミカダンス(パリ4区)で開催するパフォーマンスでは、あの舞踏が、誰にでも気軽に経験出来るようになる。 そこでは、この舞踏家が即興で踊り、そこに来た一般の人々も参加することが出来る。

 

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