NUBA/新聞、雑誌評
(1990〜1996) |
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− 白塗りした顔は、頬や唇や舌の動きによって、あらゆる感情を表現している。幻想動物にも似た長い指は、空へと向かい、身体に沿ってカーブを描き、地へ通じる。そしてそれは永遠の一瞬間を示しているのだ。ー
ー 今回<NUBA>によって上演された「あまつかぜ」は、様々な身体表現を複合した非凡な舞台芸術であり、決して忘れることの出来ないものとなった。 背景となるオリジナル音楽の中、シンプルないでたちで舞う男女のダンサー達。その様には驚かずにはいられない。男女という陰陽の対称性の中に優美さと軽妙さ、そして物語性と象徴性、これらすべてが日本のエスプリとして凝縮されている。そこには、日本古来の思想や神話が芸術的フォルムとして彼等自身の精神性によって見事に展開されているのだ。ー
ー 彼らの踊りには、驚きがあった。神秘的な力を持つ眼の表情、音楽など様々なものから、もっと大きな、別の日本を見た。ー
ー 終了後振り返ってみれば、東京におけるダンス公演としては近年希な収穫であり、大きな反響を呼んでいる。ー
ー 日本の美、奇跡的、神秘的、華麗である。「BLIND BLINK」のラストシーンは私が今までに見た舞台の中で最も美しいシーンだった。身体というものはそれが意味を持ち、自由と純粋性を表したとき、なんて綺麗で清らかなのだろう!ー
− イスラエルの夏の呼び物は毎年カルミエル市で開催されるダンス・フェスティバル。世界各地から著名なダンスグループが80のプログラムを繰り広げ、35万人の観客が集まる。ー
ー 今年は、オランダからモダンバレエのネザーランド・ダンス・シアター(ジリ・キリアン)、ハンガリーから前衛のサガド、そして日本から舞踏グループのNUBAが招請された。「BLIND BLINK」は有科珠々の提唱する”拘束舞”のひとつ。広すぎるこの劇場では、表情や細かい動きも見づらく、観客にはもどかしさを与えたに違いない。にもかかわらず、二日共チケットは早々と完売し、カーテンコールの拍手が鳴り止まなかった。ー
ー このフェスティバルは毎年1月にドイツのゲッティンゲンで行われ、在独の舞踏家、遠藤公義氏とガブリエル夫人によって運営されている。今まで大野一雄、慶人氏や石井満降氏、笠井叡氏等、著名な舞踏家達が参加して、今年で5年目になる。今回は”舞踏”の創始者である土方巽氏十周忌にあたる。ー
ー 個性ある舞踏家達による5日間は現在の舞踏の状況を見る良い機会であった。ー 今後舞踏家たちがいかにして土方が提起した肉体の問題を考えつつ作品を続けるかが海外での真の評価につながる様に感じられた。ー
”形象の美について” ー 驚くべき要素は、舞踏でこれほどまで軽やかな動きは今までになかったということである。− 色とと影の戯れである照明のは巧みに挟み込まれていた。僅かな器楽編成による楽曲の変化も全く同様で、短い旋律と不協和音を頻繁に繰り返した。特に力強く響き始める独唱(お経)と男声合唱(声明)は、なにか荘厳で宗教的なものを備えていた。この踊りの呼び起こす、形象の美と、思考と感覚の胸騒ぎのするような動きは、観客を充分満足させてくれる。ー
有科珠々が六本木にて10日間その革新的な舞踏”拘束舞”を公演する。 皆さんは、ダンスというのは動きまくることだと思われていることでしょう。でも、もしそうなら勉強しなくてはね、舞踏家 有科珠々が9月に動きを制限した舞踏独舞を公演します。ー 有科は、動きに制限を与える。例えば腕を縛る、目を見えないようにする、というダンサー側の制限、あるいは観客の視界の制限。一部を拘束することによって、他の部分の機能と動きの自由をより促進させることを意図している。 それは”拘束舞”と呼ばれる。その表現法は、拘束されて一層自由になれる、その変容の意図を表現するものだと、彼女は言っている。ー
ー 我々は最近、もう新しい舞踏は出現しないと嘆いていた。そこで、ここにそんな空虚さを満たすいい機会があるよ。油の乗り切っている有科珠々が、10日間の豪華な催しで戻ってくる。ー
− たとえば両腕を拘束したまま、眼を閉じたまま踊る…。肉体のどこかを緊束することで新たな自由を得る。これが有科珠々が提唱する”拘束舞”。日舞を学び「白虎社」を経て、独自の世界を表現する有科珠々のダンスは、世界でも広く評価を受けている。 未経験者も参加できるワークショップはすでに予約でいっぱいの為、10月の追加開催を決定。ー
ー 有科珠々の唱える拘束舞とは、あえて身体の一部を拘束することにより、別の部分の活性化をはかる試みである。身体に禁則を設けることによって身体・精神が別の自由を得ることの可能性への挑戦。ー
ー 有科珠々の多彩で洗練された身体表現は、国内外で高く評価されている。ー
ー 80年代には勅使川原三郎とともに舞踏が現われ、肉体の露出は少なくなるが、大胆で現代的な動きが新しい反乱を表現する。この新しい美学にこそ結び付けられるのが、有科珠々である。ー
ー 有科珠々/この若き日本人は、美しさの中に潜む危険な肉体性を喚起させる。この美貌の女性の姿態には、欲望をそそられる。私達は、最も扇情的な”舞踏”の中に引きずり込まれ、強烈な感銘を受けずにはいられない。ー
ー 1997年を最高に気高く再出発する為に、新しい時代におけるをここにお教えいたします。 復活/この抽象的意味を帯びた描写を、NUBAの有科珠々氏が舞踏で演出します。 現存の束縛からの解放から、浄められた魂をもって生まれ変わる過程を、魅惑的かつ神秘的儀式作法で実現します。 (肉体)の感覚を取り戻し、官能の歓びを新たに発見します。これは哲学的禁欲や、過剰に健康を重視する者への返答です。 日常における、真の贅沢である自由な時間の追求には科学技術の進歩(発明品)というものが、我々を徐々に日常任務からの解放へと導き、そのニーズに答えてくれるようになります。 性に関する実体は、急激な変化を遂げています。男らしさの誇示は、フェミニズム論と同じように過去の残留物に過ぎず、消えて無くなるべきものであります。 そして現在、我々の生活現象は限られたものとなっていますが、それを克服する為に科学、文化の研究は、我々の肉体を通じて、その効果を図ろうと試みています。
有科珠々の芸術" ー とても独特な日本の踊りのクラスが、ドーヴィルで開講します。指導にあたる有科珠々は、住み慣れた日本を離れて、只今フランスに落ち着いたところ。ー
ー これは私達(ヨ−ロッパ人)の文化を豊富にすることに有益です。日本の文化は私達の西欧文花とは、とても懸け離れています。日本の踊りは西洋のダンスよりも静的で、もっと集中力と柔軟性を要し、強い遠心力があります。ー
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photo: 一宝 雅裕
photo: 石田 美菜子 photo: Mero 三宅 photo: 宮部 和雄 photo: 鈴木 康文
photo: 鈴木 康文( dancer: 石川 香)
Asahi Evening News紙 1996年 photo: 前野 秀雄
Tokyo Journal l紙 1996年
GULLIVER 誌 1996年11月号 photo: Amiel Pretsch
GULLIVER 誌 1997年9月号 photo: Amiel Pretsch
GULLIVER 誌 1997年9月号 photo: Amiel Pretsch
LE PAYS'D'AUGE 紙 1998年 photo: 鈴木 康文
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