2000 - 2009 NUBA(Juju Alishina)/Press Clippings

”豊穣の日本 − 舞踏第三世代の象徴・有科珠々”

ー 小柄ながらも毅然とした女性、有科珠々は舞踏第三世代で最も注目される代表的ダンサーのひとりである。彼女は日本舞踊を礎とし、1982年以来舞踏を修練している。古典と前衛の融合と、舞踏の新しいスタイル(ポスト舞踏)の確立を目標として、十年前(1990年)自身のカンパニー(NUBA)を結成した。

彼女の作品全体は東洋性の追求に基づいているが、その姿勢は完全に開かれており、強く国際性を帯びている。フランス人と結婚し、世界を旅する。彼女は日本で生まれ育ったが、ヨーロッパやアメリカでも公演活動をしている。フェスティバル<EXTREME ORIENT>で発表された最新作〔LA MAIN GAUCHEー笑いながら握られた拳〕は、イスラエル滞在時の創作のリメイクである。

 このソロ作品の中では、いたいけな処女から堕ちた女帝まで、女性的なもののあらゆる相が呈示される。女性らしさやフェミニズムを土台としながら、社会から押し付けられた暴力、つまりアイデンティテイの喪失、サディズム、強姦… 等に自らの個性を対決させる。時に見え隠れする手や顔の表現の豊かさを探究することで、社会的な面と、我々のアイデンティテイを構成する個人的な面のコントラストのあるダンスを披露する。---

  • 2002 フランスELLE "Fascinante, la danse japonaise"
  • 2003 フランスVOTRE BEAUTE 10月号”舞踏-「外在化させよ」というメッセージ”

 身体のコントロール、呼吸の大切さ、波動の伝達、即興。その総てが 現代的に振り付けられた姿勢のなかで、感情を表に出すことを助けているのだ。
なぜなら舞踏は、祖先伝来の古い日本の芸術に反発し、西洋のモダンダンスに感化されて 1960年代に日本に現れた、20世紀のダンスなのだから。
<過去への反逆としての芸術>
まず舞踏は、戦争、暴力という日本にとって扇動的といえる現代の主題に密着している。日本の舞踏家(コレオグラファ−)達は人間のあらゆる感情を、日本の古典舞踊で儀式化された形とは断絶された身体の動きで表現しようとしたのだ。
舞踏はヨーロッパの前衛芸術やモダンダンスを糧とし、暴力、エロティシズム、優しさ、恐れ、苦痛、全ての感情がゆっくりとした動きや痙攣した姿勢によって描写している。猫のように爪を立てたり、床に転がったり。振り付けは交互に穏やかになり激しくなる。
各舞踏団によって身ぶりや姿勢の語彙が生み出されてきたのだ。
日本の古典舞踊を修得しカンパニーを設立し
た有科珠々は、フランスで一般を対象に舞踏を教えている。
効能
「日常生活では絶対にしない不思議な姿勢をするでしょう? だからこの訓練はとてもエキゾチックって評判なんです」このクラスを受けている若い女性達は言う。「こういう姿勢は想像力を発達させるし、本能を解放するし、自分が濃縮される極限まで行くよう強いられるんです。その後は自由で軽くなって、自分の身体をまとっているみたいになるんです」
「解放感があるのは、動きがしっかりと制御されているからこそ」有科珠々先生は静かに付け加える。「そのような動きはたくさんのストレッチングから成るため、背中にもいいのです。その目的はエネルギーを循環させること。呼吸は常にコントロールされているのですよ」と強調した。

文:Jacqueline Tarliel、撮影:ELIASダンサー:MICHELスタイリスト:Florence Lautard-Comtesse
衣裳:三宅一生
振り付け:有科珠々

2004 フランス「TRIBUNE」紙 日本のダンス、PONOTEの舞台に招待される

 ピエール・カルディナル・センターで木曜夜7時30分、カンパニーNUBAコレオグラフ作品「枕刀」が今シーズン最初の催しとしてポノトの舞台に迎えられる。
 この舞台は舞踏を知ることのできる予期せぬ機会だ。舞踏は60年代に日本で生まれた身体表現で、日本の伝統芸能の美意識や保守的な考えを覆した前衛芸術である。演劇的な振り付けを通して生活の儀式を祝せんとするものである。ーーーーー
 木曜の夜、4人のダンサーが身体言語で語るのは、戦に傷ついたヒロインが洞窟の奥で死を迎えるというストーリーである。その澄み切った静けさ、深みがじわりと感じられるダンス、斬新で、しかも近付きやすいダンスが観られる。

2004 フランス「TRIBUNE」紙 有科の舞踏、伝統と近代の狭間で


 ル・ピュイ・アン・ヴェレイ劇場の今シーズン最初の催しは、木曜の夜、ピエール・カルディナル・センターを満員にした。この公演はとりわけ珍しいものと予想されていた。ポノトの舞台で、有科珠々によって解釈しなおされた日本の伝統芸能、舞踏が見られるまたとない機会。しかも有科は、日本で舞踏の第三世代の重要な人物とみなされている名高いコレオグラファーで、彼女のスタイルは『古典と前衛の見事な融合』と賞賛されている。ーーーその名声は国際的に広まり、1998年に有科は拠点をパリに置き、ヨーロッパのコンテンポラリーダンサーと活動、数々の創作を通じて新しい芸術的スタイルを確立した。それは、深く劇的で象徴的な日本のコレオグラフィーの洗練と、西洋のコンテンポラリーダンスの影響の融合である。
 一昨日の夜ピュイで上演された「枕刀」は2003年の作品で、戦いに傷ついた兵士が洞窟の奥に捨てられて死を迎えるという演出だ。
傷つきながらも毅然とし、官能的な謎に満ちた役柄が有科珠々によって演じられた。彼女の動きは時に断続的、時に柔らかく滑らかで、指の先まで劇的な儀式を表現する。暴力、エロティシズム、痛み、恐怖、あらゆる感情が描き出される。フレデリック・テリゾー作曲演奏の驚異的な音楽にのせられ、ヒロインは熱狂的な幻覚の中に導かれ、象徴的でより現代的な動きをする白塗りの顔の謎めいた者たちと出会うのだ。
 壮観な舞台である。過不足なく受け入れやすいコンセプトのこの公演は、決定的に美学的で心が動かされる。

2004 フランス「EVEIL」紙 文化の季節、そう、今こそダンス!

 木曜夜の「枕刀」公演では、カルディナル・センターの客席が約180人の観客でほぼ満杯だった。
カンパニーNUBAのパフォーマンスは、日本で生まれた前衛舞踊である舞踏というジャンルに分類される。パリに本拠を置くこのカンパニーの芸術監督・有科珠々の作品は、厳密には、80年代に現れたポスト舞踏に結びつけられる。
 そのダンス、おまけにコンテンポラリーかつ日本のものであるというので、この文化シーズンの観客、特にシャルル・エ・アドリアン・デュピュイとサン=ジョゼフ高校の生徒たちの好奇心をそそった。

 「枕刀」では、舞台装置がもっともシンプルな表現にまでそぎ落とされ、照明が踊り手につきまとう。主人公の戦士が洞窟の奥で死を迎えるというストーリーをなぞり、ダンスは芝居と微妙に混ざりながらも、姿勢、動き、パントマイムなど身体表現を変化させる。
 この公演は、初心者が日本文化の一面と出会うには格好の機会だった。有科珠々の名は国際的に広まり、日本、米国、欧州で数々の公演を行い、舞踏の運動において第三世代の重要人物とされているのだから、いっそうのことである。

2004 フランス「MONTAGNE」紙 日本の舞踏の深みの中へ

 木曜夜に予定されている今シーズン最初の公演を数日後に控え、劇場ディレクターのジャッキー・ロシェは語る(彼は2003年にパリでこの作品の初演を観ています)。

深さと静寂に満ちた踊り
ややストイック、ほとんど神秘的
 

 10月14日に予定されたシーズンオープン最初の夜、観客達は舞踏の世界に浸るだろう。舞踏とは60年代に日本で生まれた身体表現で、「長い間私は舞踏公演を企画したかったのですが、舞踏は機材が大きいのでなかなか実現しなかった。今回もいろいろなものを削ってやっと実現したのです。NUBAの舞踏は深さと静寂に満ち、ややストイック、ほとんど神秘的ともいえる今日的な踊りです
 カンパニーNUBAの作品「枕刀」で、ポノトの観客は舞踏の世界を発見することになる。だが気をつけて、民族舞踊を期待しないように。瀕死の戦士が洞窟に閉じ込められ、逃れようとする物語… 多くのコンテンポラリー作品がそうであるように、ストーリーは観客を主人公の気持ちへ引き込むきっかけに過ぎない。彼女は内なる悪魔と戦っているのだ。精神世界への旅。舞踏とは、身体表現と美学、音楽の集大成を表すものだ。 有科珠々は1990年にカンパニーNUBAを創立した。コンテンポラリーダンスを修練した彼女は、むしろ舞踏の方向へ帰っている。彼女のスタイルは古典と前衛のダンスの融合と形容されるかもしれない。2003年の作品「枕刀」で、有科は日本人とヨーロッパ人のダンサーという混合文化の舞踏を見せてくれる。

2005 ニューカレドニアLes Nouvelles Caledoniennes/ week-end sorties」紙 六カ国の興業がチバウ・センターで。

特に注目されているのは「absence」。舞踏から発した極度なスローと痙攣的に鋭い日本の踊り。

2005 フランスZURBAN Paris 」誌 8月24日号

「… 長い間、日本の伝統的な踊りはその秘伝を頑なに守って来た。けれどグローバリゼイションの必然から、今日ではそれを習うには、ただ地下鉄に乗って有科珠々のクラスに登録さえすれば、舞踏の動き、美学や哲学等の手ほどきが受けられるのだ。歩行や波動の技術、即興から顔や声の修練等… これはあの〈日出ずる国〉の世界により耽溺する機会でもある」
文:
Gwendoline Raisson

2005 ニューカレドニアLes Nouvelles Caledoniennes/ week-end sorties」紙 12月3日号
今年度の大トリをとる日本の踊


 2005年度の締めくくりに、ADCKは名高い日本のコレオグラファー有科珠々の新作を上演する。舞踏からコンテンポラリーダンスへと向かっているこの作品「Absence(不在)」は、幽閉された姫の物話を通してあらゆる感情を描き出している。
 白い布に覆われた骨張った二つの身体、白塗りの顔に漆黒の髪、坊主頭 、マイムやコンテンポラリーダンスに近い動き。有科珠々の作品はミニマリストで、核心を狙っている。第二次世界大戦後に日本で生まれた暗く呪縛的なダンスである舞踏作品「Absence(不在)」は、ソロとデュオの二部構成のなかで様々な体位、動作を変化させながら、幽閉された古(いにしえ)の姫の孤独、暴力と狂気が隣り合わせの孤独を辿っている。
 悲劇的な第一部では、縄で縛られ幽閉された姫が描かれる。まわりには何も存在せず、彼女は内からのあらゆる情報に反応する。時には幼い少女、時には老女へと変化する操り人形のようだ。そして彼女は待っている。丁度人生は何かを待ちながら終わってしまうものであるように。
 第二部では二人の男女が空間を占めるが、男はこの女の幻想でしかない。女は男の一部であった(聖書によれば、男の肋骨の一本である)のに、女は彼のことを何も知らなかった。
 拒絶、緊張、和解、危険な遊戯など、様々な関係が二人に訪れるが、遊戯は彼らの死、穏やかな死でもって清算される。

2005 ニューカレドニアTele 7 jours」誌 射干(ぬば)の舞踏. Absence 公演"

 12月8、9、10日の3日間、チバウセンターにてカンパニ−射干(ぬば)の公演が3回行われる。崇高なまでに美しいこの舞踏作品は、変化の渦中にある不安定な現在の日本文化が染み込んでいる。
舞踏は60年代に日本で生まれたダンスで、日本の祖先伝来の芸術に対して反逆し全力で立ち向かった。西洋のモダンダンスにインスピレーションを得ながら、スローな動きと激しい動きを交互に使いながら、暴力、エロティシズム、苦痛の感覚を見事に再現した。
 日本の伝統舞踊と舞踏を習得した有科珠々は、想像豊かで神秘的な日本のこの象徴的な芸術の、最も注目される文化大使のひとりである。80年代初頭からコレオグラファー、ダンサーとして活動し、1990年に東京でNubaを立ち上げる。その意図は、型にはまらぬ思い掛けない姿勢で身体が外に開かれた表現をする現代舞踊と、古来の芸術の両方からのインスピレーションを巧みに組み合わせた、舞踏の新しいスタイルを開発、伝授することである。

           美しく神秘的

 静寂に満ちて奥深く、やや禁欲的ながら神秘性を漂わせている有科珠々の作品は、1998年より在住するParisで生み出されている。
 二部構成の新作「Absence(不在)」では、まず一部目のソロで、有科珠々演じる幽閉された古代の姫の孤独が辿られる。二部のデュオでは、才能豊かで彫刻的肉体を持つカンパニー期待の新人、男性舞踏手の保坂一平と共に、暴力や性愛の季節の狂気を二つの身体で曲にのって体現する。ぎくしゃくとした動作から滑らかな動き、時に演劇的であり、内面的に深く沈み込みながら、神々しいまでに美しく魅惑に富んだこの見事な作品が、カレドニアの観客の心に訴えることは間違いないだろう。
文:Sophie Tiphagne

2005 ニューカレドニアLes Infos紙/Geste Station (初日評)

今年度のトリ、日本のカンパニーNUBAの新作 Absence(不在)は、独創的な振り付けと舞台作りでチバウセンター・シシア劇場の観客を驚かせた。強烈な存在感である。

 舞踏とは、40数年前に日本に現れた極めて近代的なダンスである。その振り付け技術、主題については、西洋の現代舞踊の影響を受けた。日出づる国日本の伝統芸術の能や歌舞伎はあまりにも厳格な規範で締め付けられているため、こうした混種の形式が生まれ、あらゆる感情がゆっくりとした動きや激しく昂(たかぶ)った動きで表現されるようになった。
 ところが日本の伝統舞踊の儀式化された形式と舞踏との間の断絶は、馴染みの薄いヨーロッパやオセアニアの観客には分かりづらい。だが、 舞踏には西洋で流行のコンテンポラリーダンスに由来する運歩や姿勢があることなら推測されるかもしれない。

 有科珠々はこの新しいダンス<舞踏の
第三世代>を代表する一人であり、ソロと、保坂一平とのデュオの2つの作品をこの度披露した。

             伝統を標的に

 地に臥した着物の女性が僅かに照らされ、ぐったりとしている。パーカッションの連打に合わせゆっくりと起き上がる。落雷が耳を聾し、笛の叫び、鈴の音によって時折引き裂かれる。舞い手(有科珠々)は最初這い回り、アジアに常に見られるように、手や足、指の位置に至るまで重要な意味を込めた姿勢をとる。小津安二郎の映画のように緩やかで、長い縄で縛られた橙色の着物の若い女性は北野武の「Dolls」の悲劇の恋人達を思わせずにはいられない。
 照明が垂直の体勢の舞い手を照らすや否や、けたたましい音楽が空間を満たす。音楽のリズムと共に変化する一連の直立姿勢、鶴のようなバランス、機会仕掛けのような動きなどから成る振り付けが暗示するのは、「不在」の囚人の当惑した感情だ。その囚人は、階段を上って来る音、その誰かに解放されるかもしれないのだ…
 これは、自国日本の伝統を標的にしたコレオグラファーが近代性に目覚める、という比喩なのだろうか?

 第二部では、ひとりの男の輪郭がライトで浮かび上がる。ここでもミニマリストの音楽のフレーズに合わせ、極度に緩やかだ。舞台の反対の端から一人の女が出現する。彼らは互いの存在に長く気づかないが、ついにその二つの孤独が出会う。 常に完璧な動きで、時にはぎくしゃくした、時には流れるような美しい姿勢で真っ白な身体が溶け合う。女性の死、そしてもう一人の死。球遊びや天罰のシーンで演劇的な身振りで表される、生の戯れ。
官能の帝国の踊りは巧みで、観客を面食らわせる。カーテンコールまでのすべてが独創的、不思議、衝撃的 、という夜だった。
「二つの不在」は正しかったのか? ともかく必見。
文:Nippolross

2006 フランス「Tendances Buto」紙 

ニューカレドニアでの初めての舞踏公演
コレグラファー有科珠々とカンパニーNUBAの「ABSENCE(不在)」.

 12月の真冬の寒さの中でも、ニューカレドニアはまるで真夏のような気候。花の香りに真っ赤な木々。

省略

(ツアー後)有科珠々が振り返る。
「同じコレオグラフを演じることは出来ても、同じ舞台は二度と出来ない。遠方へ旅をして演じるということは身体を輸出することだ。何でもコピーや大量生産ができる今日において、身体だけが唯一コピーも大量生産も出来ないまま残っている。それだけの価値のある物は身体芸術だけであろう」
文:Christine Taniga、協力:有科珠々

2006 フランス「Juste Debout」誌 

歴史の中のダンス:舞踏
過去への反逆の芸術
舞踏とは、反抗の歴史でつくられたダンスである。<暗黒のダンス>、白塗りの身体。経済の競争の激しい日本にありながら、動きの緩やかなダンスである。西洋の文化を拒絶しながら、根底でドイツ表現主義とヨーロッパ文学にインスピレーションを得て、苦しみの中でこの20世紀のダンスは生まれた。
70年代の舞踏家達は自国ではマージナルな存在であったため、ヨーロッパに来て認められた。1971年のナンシー演劇際、1978年のフェスティバル・ドートンヌ、パリの市立劇場での成功をきっかけに、彼らはフランスで受け入れられた。今日ではカルロッタ池田、天児と山海塾、エイコ&コマ、高井富子、有科珠々とカンパニーNUBAの貢献で、舞踏は生彩に富んでいる。

「ブトーな」雰囲気
自分たちの属さない文化はどのようにとらえることがきるのか? JDM誌は、9700kmもその発祥地から離れたパリのマレ・センターで行われる日本の舞踏クラスに踏み込み、その答えを探した。
この珍しいダンスクラスでブトーにはまると、入るときよりも出た後の方が疲れの取れた気がするのである。
(その日有科珠々は海外公演に出ていた為、)有科の弟子で、カンパニーNUBAのメンバーであるデルフィン・ブリュアル代講していた。それだけの素質があるということだろう。
以下省略

文:Sheyen

2006 フランス / 「Bito」Web-magazine
有科珠々、身体表現の力

ほっそりとしたシルエット、長い黒髪、明るい笑顔、少しはにかみ屋の様子。有科珠々はダンサーで、コレオグラファー。はかない程に痩せていて小枝のように細いのに視線を惹き付ける。皆さんと同じようにひとりの妻であり母であ彼女は、舞台では凍り付くような神秘的な生き物に化身するんですよ。

土曜日の朝、Paris19区のLilasのジムナスに取材に来た私は、少し遅れたようなので音を立てないように気を付けながら教練場に入りました。もう舞踏クラスは始まっていて、生徒達が有科珠々の指事に従って練習していました。もう皆、慣れていて和んだ雰囲気です。時々あちこちで笑いが起こります。
「Jujuはね、とりわけ私達に自分自身の踊りを見つけるようにって教えてくれるのよ。彼女は私達の感情を探る手掛かりを与えてくれるの。そしてそこからは私達次第なのよ」生徒の一人が言います。ーーー  

新作のソロのリハーサルでは、助手のカトリーヌが注意深く見守ります。有科は彼女の意見や印象を聞き、示唆や発言をすすんで受け入れます。 「観客席からどう見えるかを知ることは大切ですもの」と有科珠々は言います。
カトリーヌは几帳面に振り付けをノートし、図面や略画で記録し、気が付いたことをメモし、動きの変移性と調和、その運動の設定を助けます。

自然の要素、動物、人間の具象表現や模倣、即興… 有科珠々の作品の本質はここにあります。彼女の舞踏のアプローチは決して型にはまらず、身体の規律であると同時に強い感情の解放であり、現代的要素と日本の伝統的要素の混合なのです。有科珠々の芸術では、歌舞伎の上演に見られるように身体が劇的に演出されます。無駄の削ぎ落された姿勢のひとつひとつには、力強い喚起力がこめられています。 愛、死、恐怖、残酷さ… が動きの中に読み取られ、踊り手の身体の中で具体化され、踊り手を追う照明によって完璧に映しだされています。

骨の随までダンサー
有科珠々の芸術家としての特徴は、溢れんばかりの想像力の豊かさ、新しい実験に対する貪欲さ、開かれた感性である、と言えましょう。  ---   以下省略

2006 August フランス / 「Sante magazine」誌  禅と舞踏


ストレス解消を促し、抑圧からの解放の助けとなるエキゾチックなダンス、舞踏は、身体的であると同時に知的であり、武道と現代舞踊の中間にあると言える。60年代に日本で誕生し、ヨーロッパの前衛運動に影響を受けたこの「暗黒のダンス」は、当初暴力、エロチシズム、死などの大いなるタブーに取り組んだ。日本のコレグラファーたちはさまざまな感情を表現しようとしたのだ。白塗りの身体、ゆっくりとした動き、こわばったねじれた姿勢は、意識と無意識、外部と内部をつなごうとしている。今日、一般向けの舞踏クラスで教えられているのは、より穏やかなダンス、魔術の儀式というよりむしろ精神衛生の源のようなダンスである。……
舞踏は、自らの身体や感情を通した、存在物のあらゆる側面を探る手段、内的リズムを生の循環と調和させる手段なのである。
Les Atouts Forme
身体の制御、呼吸の重要性、動作の技法、リリーステクニックの習得、決まった動きや即興の連鎖、ソロやデュオでの練習…。単なるダンスというよりまさにセラピー。身体への効能は数知れず。腰や背中に効く舞踏の動きは、徹底して筋肉を動かし、柔軟性を高め、身体の各部位の動きの連係を鍛え、おまけに酸素の取り込みを楽にしてくれる。エネルギーの調和を調整し、肉体的にも精神的にも理想的なダンスだ。思い切って始めたい方は以下まで…:
日本人コレオグラファー有科珠々主催のカンパニーNUBA。 場所は…

2008 October イタリア / 「FLAIR」誌  Gotico(ゴシック)


カンパニーNUBAの舞踏手たちの詩的なコレオグラフィとファッションとの出会い。
この前代未聞の邂逅には情欲をそそる暗示的な雰囲気が満ちている。

 

2008 June フランス / 「News Digest」紙  Parisで学べる日本の舞踏

2009 June フランス / 「bisou」紙  ダンス特集 
ダンスを通して自己解放し、新しい自分を発見する。

 

 

 

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Les Saisons de la Danse誌 2000年12月号

photo: Makoto Horiuchi

 

Les Saisons de la Danse誌 2000年12月号

photo: Makoto Horiuchi

 

Magazine "VOTRE BEAUTE;" october 2003

model : MICHEL, photo : ELIAS, costumes : Miyake Issey, Choreography : Juju Alishina

 

TRIBUNE紙 2004年10月12日
dancers : Delphine Brual,Morgane Dragon,Peggy Gilardi,

 

TRIBUNE紙 2004年10月16日

 

EVEIL紙 2004年10月17日
dancers : Delphine Brual, Morgane Dragon,

 

MONTAGNE紙 2004年10月12日
dancer : Juju Alishina

 

Les Nouvelles Caledoniennes/week-end sorties
(New Caledonia)
 2005年2月26日
dancers : Juju Alishina, Hosaka Ippei


Les Nouvelles Caledoniennes/week-end sorties
(New Caledonia)
 2005年12月3日


Tele 7 jours誌(New Caledonia)2005年12月
dancers : Juju Alishina, Hosaka Ippei

Les Infos/Geste stations
(New Caledonia)
2005年12月
dancer : Juju Alishina,


Tendances Buto紙 2006


Juste Debout誌 2006年1月
dancers : Delphine Brual, Peggy Gilardi

Juste Debout誌 2006年1月

 

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008

©Magazine FLAIR oct.2008, photo : Jean-François Campos choreography :Juju Alishina
Dancers : Ippei Hosaka, Laurent Bur, Miki Tajima, Nelson Ferreira, Model : Giedre Dukauskaite

 

News Digest 紙 2008年6月

 

Bisou 2009年夏季号